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2014/05/13

「南米旅行記」

 7期修了生の水谷です。大学院修了前の最後の機会に、南米4カ国(ブラジル・チリ・アルゼンチン・ウルグアイ)と、あと経由地のUAEを約四週間かけて旅行していました。目的はこれまで想像の中でしかなかった南米の肌感覚を得ることでした。そしてこのタイミングで南米行きを決めたのは2つ理由で「行くなら今しかない」と思ったからです。単に就職をすると南米を旅行するほど長期休暇が取れないと思ったのもありますが、特にブラジルに関して今年5月からは全土でサッカー・ワールドカップが、そして2016年にはリオデジャネイロでオリンピックが開催されます。ブラジルの本当の状況を知るならこれらビッグ・イベントが行われた後では遅く、今しかないと思ったからです。

ブラジル

  日伯関係は、残念ながら日本に暮らしていて日常生活で意識することは少ないですが、大変重要な二国間関係です。1908年4月28日、781人の日本人移民を乗せて笠戸丸が神戸港より出港し、その後シンガポール・ケープタウンを経由し55日間かけて同年6月18日にサントス港に入港し移住が始まったそうです。2008年に入植100周年を記念し大きな祭典が行われていたのは記憶にある方も多いと思います。当地には現在約130万人とも150万人とも数えられる日系人がおられるそうで、世界最大の日系人社会を形成しています。コミュニティがあるだけあり、特に経済の中心地・サンパウロでは日本にルーツを持つ人々をよく見かけます。目抜き通りのパウリスタ大通りから少し離れたリベルダージ地区には東洋人街(旧称・日本人街)が広がり、日系の商店や飲食店が今でも多く軒を連ねています。私は日曜日に訪れたのですが、広場にはたこ焼きや焼き鳥などの屋台が並び、さながら縁日のような雰囲気でした。その中でもひと際長い行列ができていた店がありました。それは、ラーメン店です。日系人の店主が日本で修業したというその店の前には日系人の方々をはじめ、現地駐在員とその家族、そしてブラジル人の列を成していました。

  世界中どこを旅行しても、中国系や韓国系の街、それら地域にルーツを持つ人々を見かけることはよくありますが、このように現存する日本人街、そして日本にルーツを持つ人々を見かけたことは、1980年代生まれの私にとって少し不思議な経験でした。

  現在は当地に同化されている日系人の方々ですが、移住当初は苦労が絶えなかったと想像します。「さあ行こう 一家をあげて 南米へ」という謳い文句の国際興業株式会社の広告は教科等にも掲載されご存知の方が多いと思いますが、経済移民の性質もあり、半ば棄民のような形で来られた方々もいらっしゃると伺います。先ずは大農園での小作人からスタートをされ、その後農地を買い農園主になられた方、また中には商売人に転職され成功を収められた方々もいらっしゃると伺います。そのように血のにじむような努力をされた方々のおかげで、日系人の今の地位があり、また現在日本企業は同国にて事業を展開できています。その点は強く心に留めておきたいところです。2月にNHKBS1のワールド・ウェイブ・トゥナイトで特集されていましたが、船井電機の現地法人が現在新設建設工事中のサンパウロ・グアルーリョス国際空港第三ターミナルの通信設備を一括受注したそうです。当社のブラジル法人は日系人を中心に運営されているそうで、2億人市場のブラジルでの日本企業のビジネス展開の理想形がここにあると感じました。

  ブラジルについてあえて懸念事項をここで書くとすれば、やはり治安です。今回私は、イグアスの滝、リオデジャネイロ、サンパウロを訪れましたが、イグアス以外は、常に緊張感を持っていなければならないような治安でした。特にどの大都市においてもセントロ(中心街)は平日のビジネス・アワーの人通りが多い時しか立ち入りを推奨されていません。その根本的理由としては貧富の差が挙げられます。リオでは有名なコパカバーナ・ビーチから目と鼻の先にファベーラ(貧民街)が広がっており、先日も暴動がありましたが、ワールドカップを前にしても不安定要素を抱えたままとなっています。

   逆にこれからのビジネスチャンスとして感じたこととしては、インフラの老朽化対策・更新事業です。サンパウロの空港もそうですが、ブラジルの都市インフラの大半は前回の経済発展時(1970年前後)に構築されたもので、大方が更新時期を迎えています。この点、現在日本が面している状況と似ており、ノウハウが活かせるのではと感じました。

昨今再び経済の停滞がささやかれてはいますが、世界的な人口急増のトレンドの中で重要性を増す穀物の生産が盛んで、また海底油田から原油を得ることができるなど、一次産品(足元)に強みを持ち、また人口も増え続ける同国がインフラの改善や貧富格差の改善などによって、これからさらに成長をしていく可能性があることを今回の訪問を通じて強く感じました。

  

7期修了生 水谷彬人

 

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東洋人街                                      屋台の風景

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日本移民ブラジル上陸記念碑                サントス港から汽車で移動する日系移民

                                   (コーヒー博物館にて)

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石油掘削リグ(リオ、サントス・デュモン空港より臨む)

 

 

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